マヨネーズの発祥の地や
日本のマヨネーズ誕生について
ご紹介します。
18世紀半ば、メノルカ島(スペイン)での出来事です。当時イギリス領だったこの島にフランス軍が攻撃をしかけました。その指揮をとっていたのがリシュリュー公爵。戦火の中、公爵は港町マオンで料理屋に入り、お肉に添えられたあるソースに出会いました。
そのソースを気に入ったリシュリュー公爵は、後にパリでそのソースを「マオンのソース」として紹介しました。それが「Mahonnaise(マオンネーズ)」と呼ばれ、その後「Mayonnaise(マヨネーズ)」となりました。これがマヨネーズの最も有力な起源説といわれています。
リシュリュー公爵がパリでマヨネーズを紹介した約160年後、一人の日本人がアメリカで缶詰の勉強をしていました。キユーピー株式会社の創始者中島董一郎です。
当時からアメリカでは、日常的に野菜サラダが食べられていました。それも調味料はマヨネーズ。ポテトサラダに使われているマヨネーズはおいしくて栄養価も高いと中島は注目しました。
帰国後、中島は日本人の体格向上を願って、卵黄タイプで栄養価の高いマヨネーズを日本で発売しようと考えたのです。
創始者 中島董一郎
関東大震災後の復興をきっかけに、街には西洋化の波が押し寄せました。衣食住の洋風化が進むのを見て、マヨネーズが受け入れられる時がきたと確信した中島は、1925年3月ついに日本初のマヨネーズの製造に踏み切ります。商品名はキユーピー マヨネーズ。誰からも愛されるようにと名付けられました。
初年度の売り上げは120箱(600kg)。マヨネーズという言葉さえ知られていない時代だったので、整髪料(ポマード)と間違えられたというエピソードもあるほどです。
発売当初のキユーピー マヨネーズ
マヨネーズはやがて世間に広まり、1941年の年間出荷量は10万箱(約500トン)近くまで伸びました。しかし、第二次世界大戦のために原料入手が困難になると、「よい原料がなければマヨネーズを作るべきではない」と製造を中止。その後、製造を再開したのは終戦から3年たった1948年のことでした。
卵黄タイプで、コクとうま味のあるキユーピー マヨネーズは日本の米食文化と相性もよく、徹底した合理化によって価格も下がり、マヨネーズ市場は飛躍的に発展しました。現在、マヨネーズは家庭に欠かせない調味料のひとつになっています。
現在のキユーピー マヨネーズ